Essay
on Washington
2002.01.
橋本努
二〇〇二年一月一日から六日間の予定でワシントンを訪れた。ニューヨークからワシントンまではバスで約3時間45分。初日の午前10時40分にはすでにワシントンに到着し、最終日は夕方6時ごろまで見学をしたので、まるまる6日間を博物と美術の見学に費やしたことになる。なるほどワシントンは政治都市であり、ニューヨークとはまったく異なる相貌をもつ。ニューヨークが経済と芸術の都市であるとすれば、ワシントンは政治と芸術の都市だ。ワシントンの都市計画や美術館・博物館の見学について、ここにその印象を書き留めておきたい。
ワシントンD.C.は、全米50州のどこにも属さない連邦政府の直轄地域である。毎年2,000万人以上の観光客が訪れるこの都市は、観光以外には主たる収入源がなく、むしろその実態は、全米各地から税金をかき集めて、約35万人もの公務員の生活を養っているという具合だ。実にアメリカの政治的中心は、市場社会の現実とは似ても似つかない原理で動いている。ワシントンは集権的な管理機構そのものであり、その景観は、官僚主義というか設計主義というか、まるで社会主義国の首都のような気がしてくる。都市全体のデザインは、1791年の独立戦争のときに、参謀将校であったフランス人技師ピエール・シャルル・ランファンによって設計されたというが、その文化的・思想的背景はハイエクのいう「設計主義」の起源と重なる。都市の中心にはモールと呼ばれる公園が東西に広がり、その周りは美術館と博物館で占められている。さらにその外側には、官庁の建物がほぼ均一な高さのビル群が続いており、どの建物も威厳のある美しさを備えている。街全体は、建築物の高さ制限もあって整然と設計されており、遊びや誘惑というものがなく、ここはまるで、官僚生活の理想をそのまま具体化した場所ではないかとすら感じられる。
もっとも設計者のランファンは、当時の議会とは折り合いがつかず、翌年には解雇されている。この歴史的事実を考慮するなら、ワシントンは当初の設計が挫折した都市であると見るべきかもしれない。ただし計画の挫折は、都市における設計主義的精神の受肉化という現実を否定するものではないようだ。
ワシントンの人口は約59万人、首都圏を含めれば610万人となる。地下鉄や都市面積の規模からすれば、これは例えば、約180万人が暮らす札幌に似ている。またワシントンの人口に占める黒人の割合は65%であり、ニューヨークよりもその比率が高い。全米における黒人の割合は10%であるから、ここは圧倒的に黒人の町なのである。官庁で働く白人たちはおそらく、D.C.以外の地域から車で通勤しているのであろう。これに対して低所得層の黒人は、地下鉄を使ってD.C.内から通勤しているようである。
ワシントンの地下鉄は、路線によって「レッド・ライン」や「ブルー・ライン」などの呼び方をされている。しかし車両の色に区別がないので、なんとも分かりにくい。また駅の構内はすべて同じ建築様式で作られており、空間としては圧倒的な美しさをもつものの、個性がなくて画一的である。地下鉄の駅や車内では広告が厳しく規制されているようで、文化のダイナミズムを感じさせない。車内アナウンスも胸を詰めつける。「次はどこどこの駅です」というありふれたアナウンスの声さえ、鎮静で陰鬱な、しかしそれでいて当人は抑圧の美的表現に酔っているような、つまり、病的なまでに美的な感受性を発揮するような声なのである。まさにこの声の出し方が、ワシントンという都市における人々の生活感覚を代表しているように感じられた。これがニューヨークの地下鉄になると、うるさくて早口で、ときにイライラした声になる。
ワシントンD.C.における広告は、地下鉄のみならず街中でも規制されている。街中の店舗では、例えばルーフの色を地味な色に抑えたり、広告の文字をできるだけ小さくしたりして、人々の欲望を過度に駆り立てないように工夫している。ニューヨークでは派手な赤色と黄色を使うマクドナルドの看板も、ワシントンでは地味な赤と黄色を用いて高級感を出している。これを「文化的に洗練されている」と評価するのは簡単であるが、私にはそれがカフカ的な官僚機構の表現であるように感じられた。ワシントンの人々はカフカ的(あるいはキリコ的)な世界のなかで、巨大な政治的ミクロ権力に抑圧されながらも、自分を見失わないための手段として公共的で美的なマナーを発達させているのではないか。それが私の第一印象であった。
ところでワシントンは、ミュージアム(美術館と博物館)を都市の中心に据えることによって、毎年たくさんの観光客を呼び込む都市でもある。都市の求心力は、文化的遺産の魅力であり、人々はその遺産に触れることで、普段の平凡な生活に「遠心力」を働せることができる。まさに都市の魅力の一つは、非日常的な「観覧」による日常生活の修正・刷新、という機能にあるのであろう。ワシントンに来て感じるのは、ミュージアムが世界のどの都市よりも充実しているということだ。およそワシントンやニューヨークのように観光資源が集中している都市は、観光者たちの生活全体に遠心力を与えることができるのだろう。
しかしワシントンは、独創的な活動が奨励されているところではない。そこから何か新しいものが生まれていくというよりも、世界のどこかで創造されたものが美術館や博物館に集まってくる場所である。街の基調をなす文化は官僚的な政治運営のそれであり、市場経済のダイナミズムやそこから生じる文化のダイナミズムというものは感じられない。中心街を少し外に出れば、そこには閑静な住宅街やマンション街が広がっており、のどかな郊外生活が営まれているという印象を受ける。そこに暮らす人々は、なるほどミュージアムの存在によって文化的には洗練された嗜好を持つであろうが、精神的にはある意味で、保守的に飼いならされたメンタリティーを育む傾向にあるのではなかろうか。福祉にはラディカル、文化的には保守、という生活を営んでいるのではないかと感じられた。
要するにワシントンでは、「政治と文化」というテーマの下に、エスタブリッシュされたもの、永続的で保守的な価値をもつもの、権威的な価値をもつものなどが受容されている。これに対してニューヨークでは「経済と文化」というテーマの下に、革新的なもの、アヴァンギャルド、突発的に時代を画するが残らないもの、そして独創的なものが受容されている。ワシントンがカフカ的な魅力を持つのに対して、ニューヨークはポスト・モダン的な魅力をもつ。はたして私たちは、官僚機構のなかで美的にもだえるエリート文学を志すべきか、それとも、何でもござれの市場機構に恩恵を受けて、ポスト・モダニズムの世界を浮遊すべきか。ニューヨークとワシントンの対比は、どうやらそんな選択にあるように思われる。
いずれにせよワシントンは、権威的な外観をもつ街である。その中心にある公園は、中国の天安門広場に似て、まるで権威を見せるための空間のようだ。なるほど観光客たちは、ワシントンの中心にある公園を訪れることで、政治の中心に迎え入れられたという感覚を持つかもしれない。反対に日本では、政治都市(永田町)の中心に公園がなく、人々が政治の中心を訪れる感覚を地理的に疎外している。相対的みれば、ワシントンは中央の巨大な公園に人々を迎え入れる点で民主的だといえるだろう。しかしそれは同時に、議会やホワイトハウスやリンカーン像といった民主主義の理念を見せるための空間でもあり、議会で決定される事柄を権威的に伝達するための、もっとも博覧的な方法でもある。それはなるほど、教育的にみてすぐれた装置である。とりわけ小学生や中学生らは、ワシントンを訪れることで民主主義の理念を体得することができるであろう。しかしそこで伝達される民主主義の理念は、「間接民主主義」とその「喝采空間」ではないだろうか。民主主義は民衆によって支えられなければならないが、人々は同時に、その権威的中枢に対して忠誠を誓わなければならない。ワシントンの政治空間は、そのような理念を伝達する装置であるように感じられる。
興味深いのは、そうした政治空間のまわりに多数の美術館や博物館が配置されていることだ。ワシントンの魅力はなんといっても、スミソニアン協会が運営する15の美術館と博物館にある。収蔵品数は1億4000万点、そのうちの1%が実際に展示されているというが、その1%の半分をみるだけでもかなりの衝撃を受ける。スミソニアン協会というプロジェクトを知って、私は文化資源がもつ社会発展の起動力というものに大きな関心を抱いた。
スミソニアン協会は、イギリスの公爵の家に生まれた科学者化学と鉱物学で有名のジェームズ・スミソンの構想に始まる。私生児として生まれたスミソン氏は、彼が過ごしたイギリス社会に対して嫌悪感を持っていたのであろう。スミソンはその死後に54万ドル相当の財産をアメリカに寄付し、その寄付された遺贈金をもとにアメリカの科学者ジョセフ・ヘンリーがこの協会を設立したという。彼自身は一度もアメリカを訪れたことはなく世を去ったが、自分の遺産によって新しい大地アメリカに社会発展の希望を託したのであった。実にアメリカの文化的発展は、他の社会が処理しきれない憎悪・抑圧・嫌悪・疎外・憤怒といった感情を乗り越える、という人類の課題に対応している。
さて、私が六日間の滞在で訪れた場所は次の通り。一日目:国立郵便博物館、植物館、国立航空宇宙博物館。二日目:リンカーンが暗殺された場所で有名なフォード劇場とピーターセン・ハウス、オールド・ポスト・オフィス(塔の上から都市を一望できる)、アメリカ自然史博物館、ナショナル・ギャラリー西館の一部。三日目:フリーア・ギャラリー、サックラー・ギャラリー、芸術産業館、アフリカ美術館。四日目:ホロコースト記念博物館、アメリカ歴史博物館、コーコラン・ギャラリー、リンカーン記念館。五日目:議会図書館、フィリップス・コレクション。六日目:ハーシュホーン美術館、ナショナル・ギャラリー西館・東館。以上である。なお一月の最初の週は観光客が少ないようで、ホテルの料金は安く設定され、どこへいっても混雑することはなかった。ただしテロ事件以降のセキュリティ対策として、いくつかの観光スポットは閉鎖されていた。例えば、ホワイトハウス、FBI本部、造幣局、ワシントン記念塔などは見学できなかった。以下、訪れた美術館や博物館について、その印象を書き留めておきたい。
【国立航空宇宙博物館】
1969年に人類が始めて月面に着陸したとき、アメリカの宇宙技術はこの程度のものだったのか、という印象を受ける。ロケットに搭載した月面着陸機「コロンビア」は意外にも小さく、非効率的で重量感のあるB級機械のようであった。この程度の低技術の部品を駆使して月面を目指したのであれば、それはまったく無謀の試みだったに違いない。ソ連のロケットはさらに質が悪く、まるでドラム缶を縦につなげれば出来あがり、という印象を受けた。あれからすでに30年以上の月日がたった今、なるほど技術は向上したが、しかし人類はあの頃以上に大きな夢をもってはいない。航空宇宙博物館は、空を飛ぶ技術から宇宙へ飛び立つ技術まで、技術の進展だけでなく人類の夢の歴史を展示しているのだが、「夢」という点では19世紀後半から20世紀前半にかけての飛行機作りほど胸が躍るものはないであろう。博物館ではその当時のさまざまな試みを展示しており、どの試行錯誤も個性的な美的なスタイルと空への夢をもっていた。アメリカとは、空から宇宙へと「夢」をつないでいった国であることが分かる。ここは「夢」の博物館であった。
【ナショナル・ギャラリー】
国立絵画館。その設立は、銀行業と石油で大富豪となったアンドリュー・メロン氏のコレクションを元にしている。三代の大統領のもとで財務長官を務めた経験のあるメロン氏は、死後にその絵画コレクションを寄贈し、1941年に博物館が開館された。13世紀から現代にいたるヨーロッパ美術の圧倒的なコレクションが所蔵されており、建物自体も広くて威厳のある作りだ。コレクションはとりわけ、16世紀ルネッサンスの作品がすぐれていた。ダ・ヴィンチとその時代の作品群はとても印象に残った。また近代絵画、とりわけゴーギャンやゴッホ、そしてピカソの作品もやはり感銘を受ける。ピカソは群を抜いてすばらしい。この他に17-19世紀にかけてのすぐれた西欧絵画に触れた。これに対してアメリカの絵画は、どの時代のものも西洋に比べて見劣りがした。肖像画やハドソンリバー派の風景画、あるいは現代の抽象芸術に至るまで、ほとんど見るべきものがない。
現代美術という点では、ヘンリー・ムーアの特別展に刺激を受けた。イギリス生まれのムーアは、さまざまな才能に恵まれた。この人はおそらく彫刻をしなくても、その絵画スケッチだけで有名になったであろう。とりわけ彼の初期の抽象的なモチーフのスケッチがすばらしかった。またムーアは、アメリカにおける公共彫刻、例えば市役所前に設置する彫刻などを多く作ったことで有名になった。彼の彫刻は、人々の集まる公共的な空間に設置されながら、それでいて人々の心を個人的で私的な内面性へと遡行させる力をもっている。公共性を考える上で参考になる展示であった。
【国立アメリカ歴史博物館】
「アメリカの屋根裏部屋」と呼ばれるこの博物館は、国家のプライドとは何であるか、という「集団的自尊心」の問題を理解させてくれる。アメリカが誇るものとは何か。その数は以外にも少ない。すなわち、軍隊、航空宇宙産業、電話からコンピューターに至るまでの通信技術の発達、そしてジャズである。ジャズはデューク・エリントンとビリィ・ホリデーの展示があった。この他の分野、例えば絵画やクラシック音楽や彫刻といった分野には、見るべきものが乏しい。しかしアメリカはその経済力によって多くの文化遺産を収集することができたのであり、それが文化的にも大きなプライドになっているかもしれない。
もちろんどの国においても、「国の歴史」なるものがはたす社会的統合力は大きいであろう。国の歴史を知ることは、国民的・国家的なプライドを養い、愛国心のベースを認識させてくれるからだ。そしてアメリカでは、国の威信を伝える歴史的展示として、以下の四つが重要であることが分かる。
第一に、大統領とファースト・レディの歴史展。大統領は政治的権力を象徴し、大統領の妻であるファースト・レディは皇室(ロイヤルティ)の代替物として、「気品ある権威」を表現している。この二つの機能をうまく利用してきたことが、アメリカにおける社会統治のあり方を物語っている。ファースト・レディの衣服、手紙、生活習慣などの展示は、権威者をゴシップの話題に乗るようなかたちで人々の意識に再生産させるための展示物であるのだろう。
第二に、星条旗(Star-Splangled Banner)という米英戦争中に用いられた国旗の修復作業の展示。この修復作業の現場そのものを見学者たちに見せることで、アメリカの独立精神と愛国心の両方を鼓舞するという効果がある。国旗の歴史は、芸術的にはとるにたらないが、精神的には国家の威信に関わる重大な展示となっていた。
第三に、建国後のアメリカ人の貧しい生活を再現した展示である。そこには白人、黒人奴隷、先住民の生活がそれぞれ具体的に表現されている。とくに貧しい白人の生活というものが、アメリカ人の精神にとって象徴的な意義をもっているように感じられた。
そして最後に、電気の発明からコンピューターの発明と実用化に至るまでの、通信技術の歴史を展示したもの。この一連の技術革新によってアメリカは、通信にもとづく世界支配をリードしてきた。展示を見ると、通信関係の発明がいかに歴史的に重要でありつづけてきたか、ということが分かる。
以上のような展示は、すべて国家の権威を伝達するために役立っているようだった。およそ歴史を振り返るというのは、この博物館では、貧しい時代の豊かな精神に学ぶということを基礎にしている。私たちにとってはこの博物館そのものが、国家統合メカニズムについての研究対象になるであろう。
【国立自然史博物館】
コレクションの数から言えば、スミソニアン協会全体の87%は国立自然史博物館の所持品である。46億年前の化石だとか、アメリカ先住民文化の展示などに新鮮な感動を受けた。なかでも1997年にオープンした鉱物資源の展示がすばらしかった。スミソン自身が鉱物資源の研究者であったことも関係しているのであろう。奇妙な形で異様な光を放つ鉱物というものが、とにかくたくさん展示されている。例えば、白くふわふわした球形の鉱物、海草のような鉱物、まるで彫刻作品のような鉱物、泡がぶくぶくと出てきたような形の鉱物など、どれも驚異的な感動を覚える。これらをみて、鉱物に対する通念を変えなければならないように感じた。鉱物とはロマンスであり、幻想の詩的世界である。
【フリーア・ギャラリー】
デトロイトの実業家チャールズ・フリーア氏のコレクションを中心に、地中海から日本までに及ぶアジアの芸術と、アメリカの洗練された芸術作品を展示している。建物自体がとても気品にあふれ、展示数は少ないがどれも第一級の作品ばかりである。例えば、アメリカ出身のロンドンで活躍したホイッスラーの作品は、知的に洗練された叙情性をもっており、感性をくすぐられた。また何よりも、俵屋宗達が描いた『草花図屏風』には心を奪われてしまった。金色の背景にやわらかい緑色の草花が静かに現前している。どこにでも生えているような草花が、まったく異なる感性の眼差しによって、屏風の中に移されている。それは雅(みやび)というよりも、心の内面に移植された日常的自然の感性とでもいうような、自然と文化の落差と融合を同時に感じさせてくれるものだった。日本美術ではこの他にも、雪舟の『四季山水図』狩野山楽の襖絵、奈良時代の弥勒菩薩像、鎌倉時代の金剛力士像、『洛中洛外図』、茶道具など、多くの作品が展示されていた。あらためて日本美術を再評価する機会となった。日本の第一級の美術を鑑賞するためにも、ぜひこのギャラリーを訪れたい。
【サックラー・ギャラリー】
1982年、ニューヨークの医学研究者で、出版者、美術収集家でもあったアーサー・サックラーは、東洋美術のコレクション約1,000点と400万ドルを寄贈してこのギャラリーを設立した。とりわけ紀元前の中国のコレクションや、16世紀イスラムにおける詩の絵本というものがすぐれていた。この他に、現在のアフガニスタンやイランで発達した古代ペルシャの美術品も、時代を超えて残るすばらしい作品群であった。なおこのギャラリーのショップでは、さまざまな民族音楽のCDを試聴することができた。100枚くらい試聴してであろうか。なかでもインド南部で録音されたチベット仏教のチャントと、ベトナム出身のジャズ系ワールド・ミュージック・アーティスト、Nguyen Le の斬新なギターが気に入ったので、買って帰った。
【国立アフリカ美術館】
世界でも最大級のアフリカ美術コレクションを誇るこの美術館を訪れると、アフリカの芸術というものがとりわけ20世紀になってから革新的に発展したことが分かる。私たちから見てアフリカらしい抽象性をもつ作品というものは、さまざまな現代文化との交流の中で、新たに生まれたものである。なるほど20世紀前半に、ピカソやクレーはアフリカ芸術に影響を受けたが、その後のアフリカ芸術のほうがいっそう近代西洋に影響を受けて発展しているではないか。部族のシンボルや酋長の権威を表現する作品でありながら、芸術的にはいっそう自由で複雑なフォームが次々に生み出されているという印象を受けた。現代アフリカの芸術には、無尽蔵な力があるように感じた。
【ハーシュホーン美術館】
1974年に連邦政府によって開設されたこの美術館は、旧ソ連のラトビア生まれのハーシュホーン氏が寄贈した彫刻コレクションに基づくもの。6歳のときにアメリカに渡った彼は、17歳でウォール・ストリートの為替ブローカーとなり、1929年の大恐慌のときに大もうけをして、その後、鉱物資源を発掘する会社を設立した実業家である。彼は40年間のあいだに、絵画4,000点、彫刻2,000点を集めたという。私がこの美術館を訪れたときには、彫刻作品と現代アートの常設展のほかに、三つの特別展があった。画家のフランシス・ベーコンの作品が、とりわけ異彩を放っていた。特別展ではジュアン・ムニョズ(Juan Munoz)の彫像たちが、独特の世界を築いていた。東洋系の匿名な男性たちのニコニコしたリアルな彫像なのだが、それらがさまざまな自然な姿勢で朗らかに立っている。やわらかい灰色で頭は坊主、パーカーのような上着に、作業用のズボンを履いている。「えっ、あはっ」といった声がもれているような表情で、しかもみんな同じような表情。ある意味で現代西洋美術の対極的な世界を描いているのかもしれないが、しかしそれがアメリカ社会においても探せば見つかりそうなリアリティをもっていた。
【国立ホロコースト記念館】
ここはワシントンでもっとも衝撃を受けた場所。人間として誰もが一度は向き合っておかなければならない歴史的展示であると思った。ナチスとホロコーストに関しては、どんな解説書や番組よりも、この巨大な展示館で4-5時間を過ごすことが重要ではないだろうか。なぜナチスが台頭して政権を握ることができたのか、ユダヤ人の大虐殺はなぜ生じたのか、そしてそれはどのようなものだったのか。展示では、まともに直視できない事実を映したフィルムや写真、あるいは実際に使われていた証拠品といったものに多く遭遇する。暗い展示会場の中で、ナチスがなぜこうした虐殺をなしえたのかということが分かりやすく説明されている。しかし、人類がなぜこれほどの恐怖をなしえたのかという疑問は、ますます深まるばかりだ。虐殺の現場、死体処理、人体実験された身体の写真、収容所に残された靴や髪の毛の山、ユダヤ人を載せて運んだ貨車、などなど、どれもショッキングな展示であり、これとは対照的に、ナチス以前のユダヤ人の暮らしはとても人間らしく家庭的で、日常生活のかけがえのなさを感じてしまう。ヨーロッパに暮らしていた三分の二のユダヤ人が虐殺されたことを考えると、これは20世紀最大の政治的・倫理的問題の一つとして、自らも語り継いでいかねばならないと痛感した。
【リンカーン記念館】
あまりにも有名なこのリンカーン記念館は、アメリカ人であれば小学生から大人まで、ワシントンに来たら必ず訪れる場所の一つだ。「この国に自由に新たな生を与えようではないか。そして、人民の人民のための人民による政治を、地上から消えないようにしよう。」こう呼びかけたリンカーンは、市民の政治的代表というよりも「民衆(庶民)」の政治的ヒーローであり、その巨大な像は、民衆の政治的可能性を鼓舞するという意義をもっているようだ。リンカーン像は、民衆の代表として、例えば毛沢東やレーニンのような民衆の指導者と同様の崇め祭り方をされている。「市民」の英知を代表するというよりも、「民衆」の貧しい生活からうまれる諸々の感情を政治的エネルギーに転換する際の代表的具現となるような、ポピュリズムのシンボルであった。
もう一つ、リンカーンが暗殺された場所であるフォード劇場の地下には、リンカーン博物館がある。リンカーンの当時の生活や服装、暗殺の経緯、暗殺者ブースの人生、そして暗殺の背景にある南北戦争についていろいろ学んだ。この劇場それ自体が19世紀のアメリカを代表する建築物でもある。また向かいにあるピーターセン・ハウスは、リンカーンが銃撃後に運び込まれ、最後に息を引き取った場所である。小さな場所であったが、ボランティアの老紳士が当時の様子について解説してくれたことが印象に残った。ただし、ピーターセン・ハウスにある枕やベッドや椅子はすべて模造品であり、本物はアメリカのさまざまな美術館に買い取られていったという。リンカーンの暗殺について知ることは、おそらくアメリカ人にとって政治を知るための学習教材であると同時に、その高い精神性から愛国的な感情を育むためのすぐれた契機となっている。
【コーコラン・ギャラリー】
美術学校が併設されたこのギャラリーは、銀行家として成功したコーコランが1869年に立てた歴史的に由緒ある美術館。建築的にも凝っていて、珍しい西洋絵画を多く見ることができた。現代絵画のような新しい手法が生まれる背景には、それ以前の西洋絵画が多様に発展していたということがある。実験的なものが多く存在するだけの芸術活動の規模があったということ、そしてそうした営みが美術学校を通じて組織的に流通していたということが重要であると思った。
【議会図書館】
1800年にこの図書館が設立されたとき、その蔵書はトランク11箱と地図1箱であったという。1814年にイギリスは、アメリカとの戦争に際してこの図書館を燃やしてしまい、その事件に胸をいためたジェファーソン前大統領は自分の蔵書6,487冊を寄付することで、図書館を再出発させたという。それが今では1億点以上の収蔵品を誇る世界最大規模の図書館になったのだから驚きだ。現在では毎日1万4,000点のペースで所蔵品が増えつづけており、それらはすべて基本的に市民に公開されている。
もっともこの図書館は、図書館としての機能よりも、ワシントンで最も美しい建築物を見るために観光客が訪れるところだ。中央にあるジェファーソン館は、なんといっても入り口にある大ホールと円形の閲覧室の豪華さと広大さで知られる。大理石と明るい色彩の絵画に彩られたルネッサンス風のドーム建築で、私が訪れたときはそこで日本の浮世絵コレクションの展示が催されていた。ホールの建築それ自体にも感動したが、浮世絵の世界にも目を見張るものがあった。また世界の貴書を集めた常設展では、古代から近代に至るさまざまな文化の貴重な原書が展示されていて、こちらも興奮した。江戸時代の日本で書かれた世界地図だとか、イスラムの星座コスモロジーなどのほかに、ホッブズやルソーの原書もあった。
なお、議会図書館は三つの建物からなるが、ジェファーソン館のみが観光に値するところで、隣のマディソン館などは、図書を収納する場所ではなく、本を収集したり整理したりするために作られた巨大な管理機構の建物であった。例えば社会科学雑誌のためのオフィスだとか、職員のための福祉施設だとかいった部屋が何百もあるような場所だ。これはこれで、巨大組織のカフカ的状況を知るためのよい経験となった。本を所蔵しないマディソン館に、私はどうやら職員たちの休日(土曜日)に迷い込んだようで、いっそうカフカ的な気分にさせられた。
【フィリップス・コレクション】
ワシントンにおいて最も刺激に満ちた場所である。製鉄会社の孫として生まれたフィリップ氏(1886-1966)は、美術評論家を兼ねる収集家であり、その審美眼は相当なものである。美術館には数々の選びぬかれた作品が展示されており、ヨーロッパ絵画の個人収集においては、まさに最高の水準を示している。例えば、ゴヤの描いたパガニーニ。小さい作品ではあるが、強い精神性と力動を感じさせる珠玉の作品だ。あるいはセザンヌやルノワールやゴーギャンの作品にしても、まさに選りすぐられたものが集まっており、その画家の最も洗練された一面を知ることができる。それがたとえ有名な作品ではないとしても、非常にすぐれた作品であることは間違いない。有名な画家の作品にしても、知られざる一面を覗かせるような、それでいて完成度が非常に高い作品が多かった。有名な画家の駄作を多く集めてしまう国立の美術館と比べると、雲泥の差であろう。ここではとにかく、すべての展示作品を気に入ってしまって、おかげで頭と身体が異常に活性化してしまった。
美術館と博物館の見学について記してきた。ワシントンには見るべき博物館や美術館がたくさんあり、六日間ですべてを見て回ることはできなかった。しかし六日間というのは、体力と感受性の限界であっただろう。すぐれた美術や博物を見ることは、意外と体力を消耗するものだ。よい作品に出会えば、それだけ魂を投影して鑑賞するので、疲れがどっと出る。おかげで夜は貪るように眠った。しかしとにかく、六日間、限界に挑戦するかのように美術館と博物館を見て回ったことで、貴重な経験を得たように思う。1860年に徳川幕府の遣米使節団77名がこの地を訪れ、1872年には明治政府の岩倉使節団(大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、福地源一郎、津田梅子など)が五か月間の滞在をしたというが、徳川時代の使節団がワシントンを見学してから今日に至るまで、すでに142年が過ぎている。そしてその142年後に私がワシントンから学んだことは、富豪たちの寄付による博物・美術のコレクションという巨大なプロジェクトの蓄積であった。ワシントンは、富豪が築いた財産を文化的に社会へ還元する装置を内蔵した場所である。そしてこのシステムそのものが、国家というものを魅力的にしているように思われた。